*[book]『映画と文藝』

 清水純子『映画と文藝』彩流社を読んだ。映画化された日本文学の名作を論じるものだが、特に海外で映画化されたものに焦点を当てている。

 第一章はピーター・グリーナウェイ枕草子が論じられる。酷評されることもある「野心作」だが、著者は高く評価している(ように見える)。第二章の「藪の中」はもちろん、黒澤明の『羅生門』が思い浮かぶが、他にも映画化されている。真砂の兄の検非違使を焦点人物とした佐藤寿保監督の『藪の中』(1996)、天海祐希演じる真砂の復讐譚とした三枝健枝監督の『Misty』(1997)、小栗旬演じる多襄丸をヒーローとした中野裕之監督の『TAJOMARU』(2009)、さらに米国ではマーティン・リット監督の『暴行』(1964)、日米合作(吉田博昭監督)で『アイアン・メイズ:ピッツバーグの幻想』(1991)が撮られている。

 第三章の陰獣は、1977年の香山良子主演のテレビ版は私も見た。まだ子供の頃だったので、鞭打たれる半裸の香山の姿に大きな衝撃を受けたのを覚えている。1991年の古手川祐子主演のテレビ番組は見ていない。その後、1998年には稲垣吾郎の主演でもテレビ化されているが(ヒロインは秋吉久美子)、本書には出ていない。稲垣を原作にない明智小五郎に配したことが許せなかったのだろうか?いやそんなはずはないだろう。本書には原作を大胆に改変した作品も掲載されているのだから。2001年の川島なお美主演のものも知らなかった。フランス版(バーベット・シュローダー監督)も見ている。大胆に改変しているがこれも面白かった。日本人がみなフランス語を話すのもちょっとおかしいが。

 谷崎潤一郎は海外の映画監督に人気のようで、この本でも三作品が論じられている。『卍』は日本では増村保造(1964)、横山博人(1983)、服部光則(1985)、井口昇(2006)と四回、海外ではリリアーナ・カヴァーニが『卍・ベルリンアフェア』(1985)として映画化している。本書で評価が高いのは、岸田今日子若尾文子が主演した増村版。「資金力の有無が映画の成否を決める」(p,141)と、身も蓋もないことが書かれている。『鍵』は、市川崑監督で1959年に、神代辰巳監督で1974年に、木俣堯喬監督で1983年に、ティント・ブラス監督で1984年に、久野晧平監督で1993年に、池田敏春監督で1997年にと、6回も映画化されている。『瘋癲老人日記』は、日本では木村恵吾監督、若尾文子主演の一本だけだが、イタリアでもリリ・ラデメーカーズ監督で『吐息』として映画化されているそうだ。

 川端の『眠れる美女』は老人の変態性欲を書いたものだが、日本で二回、欧米で四回、映画化されている。日本では吉村公三郎(1968)、横山博人(1995)が映画化しているが、後者はかなり大胆に改変し、原田芳雄演じる江口が、娘と不倫し子供を産ませるといった中身になっているそうだ。海外ではクロード・ミレール監督の『オディールの夏』(1994)、スペインのエロイ・ロサノ監督の『Bellas duermientes』(2002)、ドイツではヴァディム・グロウナ監督の『眠れる美女』(2005)、オーストラリアではジュリア・リー監督の『スリーピング・ビューティ』(2011)として結実した。原作は1960年代だが、海外での映画化は90年代以降、21世紀のものが三本である。

 同じ川端の『美しさと哀しみと』は、私は読んでいない。本書ではサイコホラーだとしている。篠田正浩監督(1965)と、フランスのジョイ・フルーリー監督(1985)が映画化しているが、後者を本書では酷評している。

 最後は三島の『午後の曳航』で、少年Aの事件の際、「14歳の殺人」を描いたとして(直接には描いていないのだが)話題になった作品でもある(といっても、義理の父親を殺す話なので、少年Aの事件とは全く関係ないのだが)。これは日英合作で、ルイス・ジョン・カーリーノ監督により1976年に映画化されている。