*[book]サイレント映画の黄金時代

 

 翻訳が出たのは最近だが、原書は1968年に出版された。著者は1938年生まれだから、原書の初版が出たときにはまだ30歳くらい、執筆は当然20代ということになるだろう。若者の特権を生かしてか、著者は当時まだ生きていたサイレント映画時代の監督、俳優、その他の重要人物に会い、多数の興味深いエピソードを聞き出すことに成功した。それがあまりにも興味深いためか、日本版でページ数は2段組みで900ページ近い。とはいえ、本文は約700ページで、詳しい人名辞典が巻末に付されている。

 映画史を飾ったきら星のような人たち、例えばグリフィス監督や女優のメアリー・ピックフォード、サイレント・コメディの大御所三人(チャップリンキートン、ロイド)等にじっくり話を聞いているだけではなく、美術のような「裏方」やキャメラマンシナリオライター、そして今では多くの人に忘れられた監督や俳優の話も多い。これらの豊かな細部が、サイレント映画という文化の全体像を浮かび上がらせる。

 私が個人的にもっとも興味深く感じたのは第二十七章「サイレント映画のスタントマン」である。今でもスタントマンは危険な仕事であろうが、当時は体制も整っておらず、「この職種にベテランはいなかった」p.363.さらに、「映画のスタントマンの平均寿命は五年に満たない」(p.366)。怪我をして引退を余儀なくされるか、それとも十分稼いで転職するか、そして運の悪い場合には死んでしまった。どのようにスタントマンになるかというと、「たいていの場合は、事の成り行き」(p.366)だった。「エキストラや端役の役者が、金に引かれてスタントをやってみる」(p.366)というのが強力な動機で、命にかかわる危険な仕事へと乗り出すのである。

 サイレントからトーキーは、一般には進化と見られているが、著者の考えは違う。

「トーキーの到来があと数年遅れていて、それによってサイレント映画の技法が限度いっぱいにまで発展し確立していたならば、あるいは、サウンドがセリフの厚塗りになるのではなくもっと慎重に思慮深く用いられていたならば、私たちは芸術的にも技術的にもはるかにもっと高いレベルにある映画群を見出していたかもしれない」ケヴィン・ブラウンロウ『サイレント映画の黄金時代』国書刊行会、p.680.

「1928年のサイレント映画はきわめて流麗で、映像は驚くほど美しく、最小限の字幕と画面によってストーリーを語る技術は熟達の域に達していたのであり、それだけの映画美学が盛時のさなかに断ち切られたのは悲劇というよりない」同書、同頁。

 サイレント映画は独自の進化を遂げたそれ自体が素晴らしい芸術であって、それがトーキーのために途絶えてしまった、という立場なのである。私はサイレント映画に全く詳しくないけれど、本書でサイレント映画の豊かさを知るとそのように説得されてしまうのだった。

 

 

サイレント映画の黄金時代

サイレント映画の黄金時代