[book]ミヒャエル・ハネケの映画術

 

ミシェル・スィユタ、フィリップ・ルイエ『ミヒャエル・ハネケの映画術 彼自身によるハネケ』水声社、2015年、を読みました。

 

 映画ファンでミヒャエル・ハネケの名前を知らない人はまれだろう。『白いリボン』と『愛 アムール』で2回のカンヌ映画祭パルム・ドールを受賞した。複数回受賞はハネケの他には今村昌平などわずか6人。現代映画の巨匠の一人と言って過言ではないだろう。

原著は2012年にフランスで出版された。トリュフォーのインタビューによる『ヒッチコック映画術』に範を取り(但し本書ではインタビュアーは二人だが)、対話によってハネケの映像製作の秘密に迫ろうとしている。ハネケもかなり誠実にそれに応えているように見える。インタビュアーは『カイエ・デュ・シネマ』のライバル誌である『ポジティフ』誌で活躍する映画評論家。ちなみに訳者あとがきによれば、『カイエ・デュ・シネマ』でのハネケの評価は揺れ動いているそうだ。

 ハネケの作品には独特の魅力があり、かつ毒もある。私はハネケの作品が好きで映画についてはほぼ全作品を見ているが、では万人に勧められるかと言うと、ためらう気持ちもある。時に激しい暴力があり、残虐なストーリー展開があり、果ては『ファニーゲーム』のように、登場人物がカメラに向かって映画内の時間の巻き戻しを宣言するといったような、観客に対するあからさまな挑発まで含まれている。全てを語らずに「謎」を残すのもハネケの特徴の一つで、犯罪の犯人が分からなかったり(『隠された記憶』など)、登場人物の行動の動機が分からなかったり(『セブンス・コンチネント』など)する。『カフカの「城」』の場合には、原作の小説が未完であるのと正確に対応し、そこで映画のストーリーも切られてしまう。『愛・アムール』の夫の行方は分からないし、『タイム・オブ・ザ・ウルフ』の場合も、さて主人公たちは一体これからどうなるのだろうというところで終わってしまう。群像劇の『コード・アンノウン』では、登場人物同士、物語同士のつながりに謎が残る。ハネケ監督の意図通り、観客は否応なしに考えさせられることになる。

 ハネケの映像は美しい。わざと混濁したシーンが描かれることもあるが、それも含めて、画面の隅々まで監督が「支配」しているように思える。そうした絵面づくりのために、大変な労力をかけていることは本書でその一端が示される。黒澤明が『天国と地獄』のために民家を移動させた話は有名だが、ハネケもそれに劣らない。例えば『白いリボン』のロケハンでは、美術監督のクリストフ・カンターが車で六万キロを脚って、北ドイツのプリーグニッツ地方のネッツォフ村を見つけた。そこを映画の舞台である「20世紀初頭」に見せるために「道路に穴を開けたり、アスファルトを剥がしたり」「電柱やテレビアンテナも引き抜き」「家々の正面に舞台装置を被せて、村の三分の一以上に偽装を施し」ている(p.352)。音にも並々ならぬ気の使いようで、『セブンス・コンチネント』の母親が自殺するために薬を飲んだ後の鼾の音は、「カール・シュリフェルナーがこっそり病院で録音してきた、本物の瀕死の人の鼾」を使っている(p.371)。「ハネケのような映画」を作りたい人には参考になる個所が多々あるだろう。

 とはいえ、その作品のモチーフなりがどこから「降りて」きたのかは、当然ハネケ自身にも明らかにすることはできない。ハネケ自身は、映画作品と、監督自身との生い立ちとを結びつけるような映画解釈を厳しく批判している(p.17)が、もちろん生まれや育ちも影響は与えているだろう。ハネケはミュンヘン生まれだが、育ちはオーストリアで、本人の意識の上ではオーストリア人である。父親のフリッツ・ハネケは俳優、母親のベアトリス・フォン・デーゲンシールドは女優という「芸能一家」に生まれたが、忙しい両親に代わっておばに育てられた。ほどなく両親は離婚し、母親はユダヤ人作曲家と再婚することになる。大学では哲学を学び、在学中に最初の結婚もしている。その頃から演劇青年であったが、お金を稼ぐ必要があったので各種アルバイトを行い、最初の正規職は南西ドイツ放送局での「ドラマトゥルク」職につく。これは他の国にはあまりない職だと思われるが、テレビ局に持ち込まれる脚本の中から最良のものを選んで、テレビ映画の完成に最後まで付き合うという職である。ここで厳しい批評眼が養われたのであろう。恵まれたスタートと言える。当時影響を受けた映画作品としては、ブレッソン『バルダザールどこへ行く』、タルコフスキー『鏡』、パゾリーニ『ソドムの市』などを挙げている。

 俳優のキャスティングは、本書を読む限り、気心の知れた俳優を何度も使うという傾向があるようだ。確かに『ファニーゲーム』『カフカの「城」』の両作品に出演したウルリッヒ・ミューエなど、お気に入りの俳優がいる。但し、演技指導は厳しく、時には俳優と意見が対立することも書かれている。老夫婦の愛を扱った『愛 アムール』では、有名なアラン・レネヒロシマ・モナムール二十四時間の情事)』(1959)に主演した女優のエマニュエル・リヴァを起用、撮影時既に80代を迎えていた彼女を、シャワーシーンで裸にしている。

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