人体実験の哲学

先月に触れたシャマユーの博士論文
ふだんの生活で意識することはあまりないけれど、私たちが享受している医療の進歩の影には、人体実験に供された多数の人々がいる。本人が納得しているならまだましだが、必ずしもそうとは限らない。本書は、そのような医学の裏面に焦点を当てた本。死刑囚や奴隷など、「卑シイ体」と見なされた人々の身体が、様々な実験にさらされてきた。そのありさまを丁寧に描き出す。
例えばリヨンのランティカイム医療施設に収容されていた10歳の子供が、梅毒の実験に使われた。子供を使ったのは、経過観察のためには、これまで性行為をしたことがない体が必要であったからという理由である(p.327)。
また、人種差別論者は、白人と黒人を全く違った人種として扱いながら、こと人体実験になると黒人を使い、その結果を利用していた。つまり、人種差異論は全くの欺瞞であったのである(p.410)。
訳者の加納氏は「訳者あとがき」の中で、この論文がフーコーによる「二項対立図式」からの訣別を図る、エポックメイキングな論文であることを強調している。フーコーが二公対立図式の枠内で思考していたかどうかは、数多の「フーコー学者」からすると議論があるところだろうが、本書が大変な労作であり、かつ、一時代を画する書物であることは疑いないと私も思う。
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