蒼い頭蓋骨

 遙かに広がるサハラ砂漠の上空を、一台のセスナが低空飛行していた。乗っているのは、日本人の中年女性と、リビア人の若いパイロット兼ガイドである。二人は下手な英語で会話している。
「ええと、お客さんの名前は、何でしたっけ」
「もう忘れたの、速いね。風間芳子よ。カザマ、ヨシコ。あんたの名前は何ていうの」
カダフィです」
カダフィ大佐と同じ名前じゃない。親戚?」
「いえ、特に関係はないです」
「そう」
「お客さん」
「何よ」
「カザマって、どういう意味なんですか」
「風の間っていう意味よ」
「風の間か、キレイですね。ふうん」
 カダフィはひとりうなずいた。
「私がこんなこと言うと変ですが、どうして砂漠なんか見にきたんですか」
「だって、見たいと思ってたのよ。子供の頃から、一回は」
「日本には砂漠はないんですか」
「ないわね。鳥取っていうところには、小さな砂漠みたいなのがあるけど、全然スケールが違うわ」
「だって、こんなもの見てもしょうがないでしょう」
「あら、美しいじゃない。砂に、ええと、線が入っていて」
「そうですかねえ。私も日本に出稼ぎに行きたいですよ。こんな仕事やめて。お客さん、
日本での仕事は何なんですか」
「パチンコ屋」
「パチンコ?理解できません」
「パチンコって英語じゃないのかな。一種のゲームセンターよ。ゲームセンター、分かるでしょ」
「それならわかります。カジノですね」
「まあ、そうね。カジノっていうほど立派じゃないけどね」
「どうしてそんな仕事を始めたんですか」
「私が始めたんじゃないのよ。父がやってたのよ。その後をついだの。私、一人娘だったし」
「そうですか」
「昔はあんな仕事、やりたくなかったわ。うるさいし、下品な感じがして。でもだめね、もうかるんだもの」
「もうかりますか」
「そりゃ、もうかるわ。私はあんまり欲がある方じゃないから、ほんとに、充分なくらいもうかるわよ」
「いいですねえ」
「でもねえ、日本じゃ、パチンコ屋って、馬鹿にされるのよ」
「そうなんですか」
「そう、人種的偏見もあってね。私は日本人だけど、朝鮮、分かる?コリア」
「分かりますよ、もちろん」
「日本では、朝鮮人の人とか、差別されるのね。大きな会社になかなか入れなかったりするのよ。それで、パチンコ屋とか、焼き肉屋になる人が多い、っていうか、それも家業がそれで、後を継ぐのが多いのよ。だから、逆にね、パチンコ屋とか焼き肉屋っていうと、在日朝鮮人だと思われたりするのよ、普通の日本人でも」
「そうなんですか」
「そうなのよ。まあ、でも今となってみると、父は偉かったわ。あれだけの店を残してくれたんだもんね」
「そうですか」
「父は会社をクビになって、それから一代で事業を起こしたんだもの。なかなかやれるもんじゃないわ。それに、母は早くに亡くなって」
「じゃあ、男手一つで育てられたんですね」
「でも、うちぐらいお金があると、いくらでも家政婦とか家庭教師とか雇えたから、別に男手一つの苦労と言うほどのことはなかったわよ」
「ふーん、あ、お客さん、見えますか」
「え、どこ、どこ?」
「僕が指さす先、ほら、あそこに青いものが光って見えませんか」
「よく分からないわ」
「視力、おいくつですか」
「そうねえ、0.5ぐらいね」
「悪いですね」
「そうかしら、日本では普通よ」
「私の視力は、5.0です」
「まあ、何でも見えちゃうのね」
「ええ、服を着た女の人でも、裸に見えます」
「まあ、つまらない冗談」
「ちょっと近づいてみますね」
 セスナ機は高度を旋回しながら高度をぐんぐん下げた。
「ほら、もう見えるでしょう。青いもの」
「確かに、ぼんやり青いものが見えるわ」
「興味ありますか」
「興味あるわねえ」
「じゃあ、ちょっと下りてみましょう」
「一体何なの?」
「たぶん、青い頭蓋骨です」
「あら、怖い」
 
 セスナ機はそのまま、砂漠の真ん中に着地した。カダフィのテクニックはなかなかのものである。
「ほら、カザマさん。これですよ」
「ほんとだ。真っ青な頭蓋骨だわ」
 芳子は、さっき怖いといったのも忘れ、頭蓋骨を手で拾い上げた。
「カザマさん、実は言い伝えがあるんです」
「え,青い頭蓋骨について?」
「ええ」
「あ、聞かせて聞かせて」
「喉が乾いた砂漠の旅人が、水のことばかり考えてそのまま死んでしまうと、その水への思いが骨を真っ青にする、だから、青い頭蓋骨があったら、喉の渇きで死んだ人だ、というんです」
「なんだ、もうちょっと気の効いたことかと思ったら、それだけなの。じゃあ、緑の樹木を思って死んだら、骨も緑になる?」
「さあ、そうかもしれませんね」
「じゃあ、私の骨は緑だわ。この砂漠に緑を植えて、リスでもいればいいのに」
「はあ、そうですか」
「あ、待って。この頭蓋骨、見覚えがあるわ」
 芳子は頭蓋骨と向き合い、その顔をシゲシゲと眺めた。
「誰にですか」
「最初の亭主よ。別れたの。逃げられたと言った方が正確かな」
「そうだったんですか」
「何、昔の話よ。もともとコイツ、いい男だったけど風来坊でさ。スッといなくなっちゃったのよ」
「お子さんは、いらしたんですか」
「いたけど、死んだわ。二才で。そのすぐ後に、いなくなっちゃったのよ。子供は好きみたいだったから。日本語には、子はカスガイってことわざがあって、子供がいると、あんまり仲のよくない夫婦でも、くっついているっいう意味なんだけど、まったくそうね」
「それで、今はそのご主人は?」
「行方不明。死んじゃったんじゃないかな。ひょっとすると、この骨がそうかもしれない。だって、砂漠で野垂れ死にするなんて、アイツに相応しい最後だわ」
 芳子はまだ,青い頭蓋骨をいろいろな角度から眺めている。
「ねえ、ひょっとして、カダフィ、あなたは私の息子と同じぐらいの年なのね」
「そうですか」
「そうよ」
 芳子は今度は、カダフィの顔を見た。
「ひょっとしたら、私の息子も、生きてたら、あんたみたいな顔だったかもしれないわ。
いや、きっとそう。アイツと私の子供なんだから、分かる。ちょうど、あんたみたいな顔
よ」
「そうですか、あんまり日本人に似てると言われたことはないんですけどね」
「アイツも、日本人らしからぬ顔してたわ。ねえ、ひょっとして、あんた、私の息子なんじゃない」
「残念ですが、私にはちゃんと両親がいます」
「でも、分からないわよ。あなたが知らないだけで、実は養子かもしれないわ。それに、そう考えた方が、楽しいじゃない。ここで、家族三人が再会したのよ。二十数年ぶりに、そうよ、そうだわ、カダフィ
「そうですか」
「そうよ。お母さんって、呼んでごらん、カダフィ
「いいんですか」
「いいから」
「いや、あなたに悪いのもあるし、私の母にも何か悪いような」
「おままごとよ、分からないかな、お芝居よ。呼んでごらんなさい」
「お母さん」
「そうそう、そうよ、マサル
マサルという名前だったんですか」
「そう、マサルマサル、こんなに大きくなって、母さんに会いたかったろう」
「ええ、母さん」
「そうだろ,そうだろ」
 芳子はカダフィを抱きしめた。カダフィも、芳子を抱き返した。
「あの、カザマさん」
「なに」
「お子さんは、他にはいなかったんですか」
「実はね、いるのよ。娘が一人ね。次に結婚した男との間の子供」
「そうですか」
「でもね、仲が悪いの。意外でしょ。実の娘と仲が悪いなんて」
「いや、珍しくはないですよ」
「だって、本当に悪い子なんだもの。グレちゃって。それで、小遣いをせびることだけは一人前でさ。顔は昔のアタシとそっくり」
「お父さんは、叱らないんですか」
「また離婚したからね、一人で育てたのよ。一人っていっても、アタシが育てられたみたいに、だいたい家政婦に育ててもらったんだけど、それがよくなかったのかしらねえ。困ったもんよ。今だって、ほとんど家に帰ってこないで、男と同棲してるわ。で、金だけ取りに来るの。ヒドい娘でしょ」
「ヒドイ娘ですね」
「あら、いいとこもあるのよ。お菓子を作るのがうまいのよ。でも、それだけね」
「二番目の旦那さんとは、どうして別れちゃったんですか」
「性格が合わなかった。父が連れて来たの。会社の有望な新人だって。真面目に人だったけど、一緒にいて息がつまりそうだった。それに、逃げた最初の夫にも未練があったしね。だから、うまくいかなかったのよ」
「その旦那さんは、今は?」
「アタシの会社、ていうか、父の会社にはさすがにいづらくなって、別のパチンコ会社に移ったけど、普通に暮らしてるわ。娘はたまに会ってるみたい。あたしはあんまり、会う気がしない。気づまりで」
「カジノの従業員にしては、珍しいですね。真面目な人なんて」
「真面目じゃなきゃ勤まらないわよ。あんなうるさい職場、なかなか大変なんだから」
「いや、ごめんなさい」
カダフィ、これ、本物の頭蓋骨かしら」
「それ、たぶん誰かのイタズラですね」
「何だ、分かってたの」
「ええ、ただカザマさん退屈してたみたいだから、本物みたいなことを言ったんです。時々いるんですよ。飛行機で来ていろいろな物を捨てていくのがね」
「そうか、イタズラか、よくできてるなあ」
 芳子は、まだ頭蓋骨を手に載せて眺めている。
「ねえ、カダフィ
「何ですか」
「日本に来ない?アタシの会社でよければ、雇ってやるよ」
 カダフィはしばらく考えていた。
「日本に行ってみたいですけど、やっぱりやめておきます」
「どうして?」
「新婚の妻を置いては、ちょっと」
「バカねえ、奥さんも一緒によ。もちろん」
「妻の他にも、両親もいるし、兄も、妹も、弟もいます。兄にも、妻がいるし、妹にも、夫がいます」
「そんなの当たり前じゃないの。よし、全部まとめて面倒みよう、大丈夫よ」
「いいんですか」
「大丈夫」
「でも、両親や兄弟の中には、反対するのも出るでしょう。それに、両親や兄弟それぞれに、やっぱり大事な人がいて、その人のことも考えなくてはならない」
「結局、リビアを離れられないってことね」
「そうですねえ」
「寂しいわね」
 カダフィは、芳子が頭蓋骨を抱えたまま、涙を流しているのを見た。
「あ、泣かないで下さい、芳子さん」
「泣くのはアタシの癖みたいなもんだから、全然平気よ」
 青い頭蓋骨の上にポタリポタリと大粒の涙が落ちる。するとどうだろう。まっ青だった頭蓋骨の色が、だんだんと失せていくではないか。
「あら、何だかこれ、青くなくなっちゃったみたい」
「古くからの言い伝えにあるんですよ。心のきれいな人の涙は、青い頭蓋骨を白くするってね」
「本当、それ?」
「今作ったんです」
「やあねえ、全く」
 芳子は頭蓋骨を置いた。
「持って帰らないんですか」
「持って帰ろうかとも思ったけど、やめとくわ。カエサルのものはカエサルに。そろそろ戻りましょうか」
「はい、カザマさん」
 二人はセスナに乗り込んだ。カダフィが慣れた手付きで離陸させる。
「日本へ帰ったら、手紙を下さいね」
「あら、どうして」
「カザマさんと僕は、友達だから」
「うれしいことを言ってくれるじゃない。そう、私たちは、よい友達ね」
「そう、よい友達。あ、カザマさん、あれ、見えますか」
「やあねえ、また頭蓋骨でも見つけたの?」
「ええ、今度は真っ赤な奴を」