生命の音楽

私は知らなかったが、著者のデニス・ノーブル氏は、心筋電気生理学の世界的な権威なのだそうだ。ドーキンスが「利己的な遺伝子」を発表して依頼、遺伝子が生物の本体だとするような俗流解釈がはびこっているが、著者がまず批判するのがそうした遺伝子中心主義思想で、遺伝子は単に生物にとらわれた存在に過ぎず、生物こそが存在理由なのだと力説する。また、生物を科学物質の還元する考え方も批判する。
おもしろいのは、著者がどうも日本びいき、東洋思想びいきであるらしいことだ(多少オリエンタリズムの気もあるが)。遺伝子のモジュールを漢字にたとえ、巻末では主語の要らない東アジアの言語システムを、著者の主張する「システムズ・バイオロジー」に適しているとして讃える。

これらの言語がしているのは、物事が「すること」、発生するプロセス、すなわち動詞を強調することで、「であること」や「すること」の所有者である主語を強調することでは内容に思えます。誰にも所有されなくていいことを言い表すかのように、動詞だけで完全な分になることもしばしばあります。(p.213)
(中略)
このように考えると、「個人的な言語」の中でいとも簡単に迷ってしまう哲学の迷宮を避けやすくなります。対象としての「私」を考える必要がないので、それが位置している脳の一部も探す必要がなくなります。(p.214)

「述語論理」の西田幾多郎が喜び、「なる」より「する」を重視した丸山真男が悲しみそうな文章だ。
生命の音楽―ゲノムを超えて システムズバイオロジーへの招待

幻想の島 沖縄

著者は日経の記者で、2005年から2008年まで那覇支局長を務めた。沖縄の病を「日本への依存」だとし、基地の返還、振興策の縮小を主張する。特に基地については、地主は無論のこと、基地で働く労働者も、返還反対に回ってしまった。沖縄の人にとっては、耳が痛いかもしれない主張も率直に語っているところが好感を持てる。
特に注目したのは、沖縄は左翼の島ではなく右翼の島だ、という指摘だ。沖縄民族主義に染まり、日本政府を批判するというのは、確かに「沖縄ナショナリズム」と呼べる。それと、基地反対運動と行政側とがほとんど馴れ合っている(アメリカには「カブキ」と呼ばれている)というのも、本土のメディア関係者は知っていても書けないことだろう。
もう一つ、米軍の中にあるヒエラルキーも、私は知らなかった。陸軍、海軍、空軍の関係者は紳士であり、沖縄住民にも慕われているが、事件や問題を起こすのはたいてい、ヒエラルキーの最下層に位置する「海兵隊」なのである。一番危険な任務を負わされ、貧しい生まれの多い彼らにも言い分はあるのだろうが、問題児が多いことは否めない。
幻想の島・沖縄