私は知らなかったが、著者のデニス・ノーブル氏は、心筋電気生理学の世界的な権威なのだそうだ。ドーキンスが「利己的な遺伝子」を発表して依頼、遺伝子が生物の本体だとするような俗流解釈がはびこっているが、著者がまず批判するのがそうした遺伝子中心主義思想で、遺伝子は単に生物にとらわれた存在に過ぎず、生物こそが存在理由なのだと力説する。また、生物を科学物質の還元する考え方も批判する。
おもしろいのは、著者がどうも日本びいき、東洋思想びいきであるらしいことだ(多少オリエンタリズムの気もあるが)。遺伝子のモジュールを漢字にたとえ、巻末では主語の要らない東アジアの言語システムを、著者の主張する「システムズ・バイオロジー」に適しているとして讃える。
これらの言語がしているのは、物事が「すること」、発生するプロセス、すなわち動詞を強調することで、「であること」や「すること」の所有者である主語を強調することでは内容に思えます。誰にも所有されなくていいことを言い表すかのように、動詞だけで完全な分になることもしばしばあります。(p.213)
(中略)
このように考えると、「個人的な言語」の中でいとも簡単に迷ってしまう哲学の迷宮を避けやすくなります。対象としての「私」を考える必要がないので、それが位置している脳の一部も探す必要がなくなります。(p.214)