世界史の構造

すっかり「岩波文化人」と化した柄谷行人氏の、渾身の書と言ってよいのではないだろうか。カントとマルクス、そしてヘーゲルを、単に解釈学、哲学学の材料にするのではなく、本当に世界を変革するための材料として使う。主張そのものは、岩波新書の「世界共和国へ」に述べられている通りだが、もちろん本書の方が中身が豊富となっている。簡単に言えば、「資本=国家=ネーション」が結びついた「ボロメオの環」を、いったいどのように解体するのかということだ。そのために「世界史」が語られる。互酬制という代わりに交換様式A,国家という代わりに交換様式B,市場という代わりに交換様式Cと書かれてあるところが多いので、時々、「これは何だったか」と考え込んでしまった。
残念な誤植が一つ。「論語」の「子罕篇」からの引用として「われは買(買い手)を待つ者なり」(p.202)という表記があり、「買」には「こ」とルビが降ってある。しかしここは「」ではなく「」なのだ。関西の人は「買う」を「こ」と読むのかもしれないが、それは訓読みである(笑)。西洋の思想に強い柄谷氏も、東洋思想には弱いことが露呈してしまった。また、これを見過ごした岩波の校閲部も、質が落ちていないだろうか。
柄谷氏といえば、NAMや、通貨Qの実践は「失敗」したとされている。原理的な書物はもちろん大事だけれど、できればなぜNAMやQが失敗したのか、その総括的な書物を書いてもらいたいとも思う。ひょっとしたら柄谷氏自身が書くよりも、第三者が書く方がよいのかもしれないが。
世界史の構造 (岩波現代文庫 文芸 323)