「恥の文化」という神話

ルース・ベネディクト菊と刀』と言えば、日本文化論の代表格、いわば古典とされている。しかし著者は、この本が、アメリカによる侵略戦争の正当化、領土拡張という「マニフェスト・デスティニー」の正当化のためのプロパガンダの書であることを、実証して行く。「恥の文化」とは、罪の意識を持たない劣った人間の文化であり、攻撃しても止む無しというのが、隠れた主題だというのだ。
著者が注目するのは、ベネディクトが参考文献に挙げていないヒュー・バイアスの『敵国日本』および『昭和帝国の暗殺政治』だ。戦時プロパガンダとして書かれたこの2冊が、『菊と刀』の論旨に大きく影響していると著者は述べ、ベネディクトのそれ以前の著書(『人種』や『文化の型』)で採用されていた、文化相対主義的な考え方が、大きく変容したとする。
さらに、ベネディクトのコロンビア大学での立場も影響していると言う。実際、『菊と刀』の評判によってベネディクトは、巨額の研究資金を政府から引き出すことに成功し、60歳にしてやっと助教授から教授に昇進するのだ。他にも、師であるボアズの死や、文化人類学の地位向上、共産主義者であるとの疑いを払拭することも、ベネディクトの執筆動機にあると著者は推測する。教授昇進の4ヶ月後に病没してしまうのは皮肉なことだが。
著者がここで書いていることは、おそらく事実なのだろうと思う。しかし、ではなぜそのようなプロパガンダ書籍が、日本で広く受け入れられたか、という疑問は残る。著者は、ベネディクトの文化人類学はいかさまだとするが、やはり正鵠を射ている部分はあったのではないか。それとも自虐癖のためなのか?
「恥の文化」という神話