近所の「姫路文学館」へ行き、車谷長吉鷲田清一との対談を聞く。2人はいまから二十数年前のバブル期、車谷氏がセゾンの社員だったころ、「現代社会文化研究会」の裏方を担当しており、その会に鷲田氏が参加していたという間柄。
車谷氏が約2200枚の原稿を削りに削って、約80枚の「鹽壷の匙」にしたという話に感動した。東京での作家生活を諦め、関西各地で料理屋の下働き(月給2万円)をしていたときに、東京の編集者が小説を書かせる(ウラの目的としては、芥川賞を取らせて社内で出世する)ためにわざわざ訪ねてきた、という逸話もすごい。
車谷氏というと私小説作家という印象が強いが、「赤目四十八瀧心中未遂」については、ストーリー、登場人物ともほとんど全てが虚構だそうだ。