繁栄(上・下)

科学啓蒙家のマット・リドレー(以前には遺伝子に関する本を読んだ)が描く、人類の歴史。さまざまなトピックを取り上げているが、全体を貫いているのは、交易・交換(物の交換、アイディアの交換の両方を含めて)こそが人類を繁栄に導いてきたという視点であり、人類は進歩を続けているとの信念を曲げない。
確かにリドレー氏が言うように、全体として見れば人々の生活は確実に改善していると、私も思う。今の一般庶民は、昔の王侯貴族よりも、おそらく快適に暮らしている(世の中が進歩するほど、要求水準も上がり、主観的な不満も上昇するということはあるが・・・)。
ここまでは概ね賛成なのだが、氏の新自由主義礼賛、楽観主義万歳には、やや首をかしげるところもある。私は、市場経済の素晴らしさを評価するものだが、現在の新自由主義が各所で嫌われている背景にはむしろ、例えば金融業で大儲けをした人々が、損をすると今度は手の平を返したように、(自分の高い報酬はそのままに)政府に救済を頼るといった、いわばご都合主義があるからではなかろうか。また、楽観論を持つのは人生の態度としては大事だけれど、悲観論があるからこそ、危険に備えたり、新たな進歩が生み出されたりする側面もあるので、その点で悲観論の有用性は消えない。
繁栄――明日を切り拓くための人類10万年史(上)
繁栄――明日を切り拓くための人類10万年史(下)

官僚制批判の論理と心理

著者の野口氏はウェーバーを中心に政治思想を研究する立教大学准教授。ポリットとブーカールトによる「ウェーバー的エレメント」の影響下に書かれた本と言ってよいだろう。この「ウェーバー的エレメント」とは、それまで官僚制批判の文脈で読まれることの多かったウェーバーについて、そうではなく、グローバル化の中における国家の役割や、民主主義の役割を再認識し、いわば新自由主義に反対するための橋頭堡・防波堤としてウェーバーを活用して行こうとするものだ。そして本書も、「官僚制への批判は情念的」「官僚制は民主主義の条件」「正当性への問いは新自由主義によって絡め取られやすい」といったテーゼを掲げ、官僚制の擁護・新自由主義への批判が本書の主眼と言ってよい。
上の「繁栄」の書評でも書いたとおり、私自身は「市場の失敗」と「政府の失敗」を比べるなら、はるかに「政府の失敗」の方が大きいのではないかとの立場に立つ。もちろん、市場という土俵をつくり、法制度を整備するのは国家・政府の役目だが、それがきちんとできたのならば、また、社会福祉といった問題は別に考えるならば、基本的には市場に任せるのがもっとも効率的な資源配分をもたらす、というのは、経済学を学んだ人間のまあ共通認識と言えるのではないか。
新自由主義への批判には真っ当なところもあるが、それは上に書いたように、まさに新自由主義者たちが実は本当の意味での市場競争に耐ええず、その優勢な力を利用して独占・寡占を行ったり、政府に働きかけたりするところにあると私は考える。むしろ「新自由主義者」たちに、市場経済の貫徹を突きつけるべきなので、そこにおいてのみ新自由主義批判の正当性はある。また、効率の累進所得税相続税が正当化可能なのも、それが一方では市場経済の活力を生み出し得、他方では「限界効用逓減」により心理的にも多くの人を幸福にし得るからである。
経済学を参照せずに、新自由主義はよくないと叫ぶのは、意図はよくても結局貧困・退歩への道ではないのだろうか。
官僚制批判の論理と心理 - デモクラシーの友と敵 (2011-09-25T00:00:00.000)