毎日新聞ニュースより

発信箱:すべて想定されていた=福岡賢正(西部報道部)
 原発事故の報道に強烈な居心地の悪さを感じている。その理由を突き詰めていくと、メディアが安易に使う「想定を超えた」という言葉のせいだと思い至る。眼前で今起きている事態は本当に想定外だったのか。

 《最大の水位上昇がおこっても敷地の地盤高(海抜6m以上)を越えることはないというが、1605年東海・南海巨大津波地震のような断層運動が併発すれば、それを越える大津波もありうる》

 《外部電源が止まり、ディーゼル発電機が動かず、バッテリーも機能しないというような事態がおこりかねない》

 《炉心溶融が生ずる恐れは強い。そうなると、さらに水蒸気爆発や水素爆発がおこって格納容器や原子炉建屋が破壊される》

 《4基すべてが同時に事故をおこすこともありうるし(中略)、爆発事故が使用済み燃料貯蔵プールに波及すれば、ジルコニウム火災などを通じて放出放射能がいっそう莫大(ばくだい)になるという推測もある》

 すべて岩波書店の雑誌「科学」の97年10月号に載った論文「原発震災〜破滅を避けるために」から引いた。筆者は地震学の権威、神戸大の石橋克彦氏。つまり今回起きたことは、碩学(せきがく)によって14年も前に恐ろしいほどの正確さで想定されていたのだ。

 石橋氏はその後も警鐘を鳴らし続け、05年には衆院公聴会でも同様の警告を発している。電力会社や原子力の専門家たちの「ありえない」という言葉を疑いもせず、「地震大国日本は原子力からの脱却に向けて努力を」との彼の訴えに、私たちメディアや政治家がくみしなかっただけなのだ。

 05年の公聴会で石橋氏はこうも警告している。日本列島のほぼ全域が大地震の静穏期を終えて活動期に入りつつあり、西日本でも今世紀半ばまでに大津波を伴う巨大地震がほぼ確実に起こる、と。

結局、私たちの多くは、原発の持つ危険から目を逸らして生きてしまったのだ。原子力産業のせいももちろんあるけれど、私たちは本気で省エネをしたろうか?代替エネルギーを考えたろうか?

http://historical.seismology.jp/ishibashi/opinion/9710kagaku.pdf

まあ暗澹たる気持ちに浸ってばかりはいられないが・・・

エネルギー問題!

著者は龍谷大学名誉教授で、エネルギー問題が専門。400ページ近い内容の詰まった本で、非常に勉強になる。石油、石炭、原子力再生可能エネルギー地球温暖化問題、等々を、一章づつ丁寧に論じていく。
しかし現今の状況からすると、やはり著者の認識は偏っていた、と考えざるを得ない。
著者は現代を、「石油から原子力」への転換期と位置づける。確かに原子力には様々な方式があり、その中には今後、有望なものもあるだろう。しかし、この地震津波列島に多数の原発を作り、それで基盤エネルギーを支えるというのは、卵の上に卵を積み重ねるようなものだったのではないか。現代の科学は、専門分化している。原子力の専門家が、安全の専門家とは限らない。
また、石油から原子力という転換は、極めて疑わしい。なぜか。石油はエネルギー資源としてだけ使われているわけではないからだ。プラスチック、ビニールなど、大量の石油化学製品が、現代文明を支えている。これらは、原子力では代替できない。著者はエネルギー問題が専門だから、この点を見落としているのか、それとも知らないフリをしているのか。
石油ショックのあと、日本の官僚たちが、石油依存から脱却しようとした気持ちは分かる。私でもそうしたかもしれない。しかし、リスクの配分を結果的に間違えたのではないか。
もう一つ、著者は、現在の日本の電力業界の独占体制を礼賛する。確かに、エネルギーの安定供給に寄与してきた面はある。しかし、長期コストを考えない原発の大量建設も、まさにそれによって可能になったのではないか。

本書の中に、興味深い一節がある。
「概して政府の審議会は、いろいろな分野から政府の考えに反対の人も含めて中立性が担保されているという体裁をとりますが、反対意見は少数になるように仕組まれ、政府の考えが通りやすい仕組みになっています。この電気事業分化会における議論でも、第五回目までは、各委員がそれぞれの立場からかなり自由な発言をしているので議事録を読んでいても面白いのですが、第六回目に事務局から、基本的視点と具体的論点が示されると、以後はそれをめぐって事務的な議論が展開されるようになりました」(p.309)

日本の官僚主導体制が活写されている。私なりの批判はあるが、是非読まれ、議論されるべき一冊と思う。
エネルギー問題!