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「逃げられる強者」と「逃げられない弱者」という対比をしていたのはジグムント・バウマンだったか。パノプティコン時代の終焉として、権力者が監視塔からどこまでも逃げ出せるのに対し、弱者はローカルな場所に閉じ込められる(大意)といったことを書いていた。理論的には、ちょっと変(パノプティコン自体が、まさに監視する側がそこにいなくても済むことを前提としているのだから)なのだが、地震・津波の被災地でおきていることは、まさにこれのような気がする。逃げる場所のある人、お金のある人は、真っ先に被災地から逃げ出す。行政が崩壊したところでは、ひょっとしたら役人や市議まで逃げているのかもしれない。そして、弱者の中の弱者は逃げることもできず、そこに取り残される。中には、安全な東京にいるのに「逃げる」人もいるらしい。
浅田彰は「逃走論」の中で、「逃げろや逃げろ、どこまでも」と煽った。こうした事態を浅田はどう見ているのだろう。
日本映画はどこまで行くか
岩波「日本映画は生きている」の最終巻。質的にやや持ち直した感じ(寺脇研の文章の緊張感のなさには脱力するが)。
ソーシャルメディア革命
ソーシャルメディアについての解説書。著者は米国在住の「ブログ作家」だが、特に「人権意識が低い」「出る杭を打つ」日本の現状に対して、世界から孤立する危険があるとの警告を発している。