喜界町

akehyon2009-05-21

朝はバスで「奄美パーク」へ。建物もいいし、中の田中一村美術館が素晴らしい。お客がほとんどいなかったが、もったいない話だ。
10時25分の飛行機で喜界島へ。町役場で地域情報化政策の取材。なかなか立派です(写真)。そして喜界町図書館で資料収集。ここの図書館も、蔵書6万冊で、こじんまりしているがなかなかいい。町出身の実業家が、約2億円を寄付して図書館が立った。例えば、奄美市立図書室(県立図書館のことではないよ)よりもはるかに立派だ。
昼飯は回転寿司。その前にいくつか食堂を覗いたが、「もうご飯はないよ」と言われた。しかもその一軒には、なにやら風体のおそろしい男たちがごろごろしていて(漁師?)、ちょっと入る気にならなかった。
帰りは夕方の飛行機を予約していたので、観光地でも回ってみようかと思ったが、案内を見ても、見事になにもない。「俊寛の墓」があるが、ここが鬼界島だという証拠はなく、ただの推測である。海岸沿いの荒木中里遊歩道を歩くと、美しい蝶(アサギマダラという名前らしい)がたくさん飛んでいた。こういうのを「何もないぜいたくな時間」と呼ぶ人もいるのかもしれないが、正直私は、「何もない」島は苦手だ。早い飛行機で戻ればよかった。というのは、この後大変な悲劇に見舞われるからである。
いやな予感はあった。私はこのあと、奄美空港鹿児島空港で乗り継ぎ、伊丹空港に帰る予定だった。どちらの乗り継ぎもギリギリで、少しでも前の便が遅れると、帰れなくなってしまう。
奄美には戻れた。だが、鹿児島行きは遅れるとのアナウンス。出発は、20分くらい遅れた。しかも上空で、鹿児島空港悪天候のため、旋回を始める。もし着陸不能なら、福岡空港宮崎空港に行くという。福岡空港にストレートに行ってくれるのが私にとっては一番ありがたい。新幹線で帰れるからだ。
しかし結果は、30分ほど鹿児島空港上空で旋回した後に着陸するという最悪の結末。もちろん伊丹行きはもう出ていた。日航は、翌日朝の便に振り替えてはくれたが、ホテル代も出さないという。しかも、他に欠航便があったため、近隣のホテルはほぼ満室。なんとか、ビジネスホテルいり舟の別館に泊まることができた。
ああ、帰れない。