暗黒館

久しぶりに重厚な推理小説が読みたくなり、綾辻行人の新作『暗黒館の殺人』に手を出す。約10年かけた力作(2500枚)を約5時間で読んでしまってすみません。
以下ネタばれあり。未読の人は読まないで下さい。

暗黒館の殺人 (上) (講談社ノベルス)

暗黒館の殺人 (下) (講談社ノベルス)







正直言って本格ミステリとしてあまり高く評価できない。
第一に、名前の「偶然の一致」が多すぎる。
物語は入れ子構造になっていて、入れ子の外側の「僕」は編集者の江南、入れ子の内側の「私」は、あだ名で「中也」(中原中也に似ているから)と呼ばれている。入れ子の内側の方にも、江南が出てくるので、読者は江南=江南と錯覚する。しかしこの二人は別人であり、入れ子内の時間は、外の時間より三十数年前である。この二人が同じ姓(実は読み方は違っていて、前者は「かわみなみ」、後者は「えなみ」であるが)であることに必然性があればよい。しかし、それは何もない。単なる偶然である。また、同じ指輪を持っていたことも、結局は偶然なのだ。おいおい。
「中也」は実は、シリーズ全体の影の主役ともいうべき中村青司なのだが、それを気づかせないミスディレクションを支えているのが、もう一つの偶然、中村征順という同姓の建築家が出てくる(婿入りして浦登姓となっており、「もう中村某という建築家は死んだ」という発言の意味を、読者は誤解する)ことだ。こちらは中村だからまだましだが、江南という珍しい苗字の人間を偶然に二人出すことが許されるだろうか。
第二には、記憶喪失の多用である。入れ子の内側の主人公というべき中也(中村青司)も、そして狂言回しというべき浦登家の息子の玄児も、さらに江南(えなみの方です)も、記憶に欠落がある。三人もですよ。これはご都合主義ではないですか。
第三として、長すぎる。雰囲気作りのためだろうけれど・・・

もちろん伏線は多数張ってあり、あとから「なるほどな」とうなるところはあります。瀕死の人をかわいそうだから殺すという殺人の動機について、賛否両論あるかもしれませんが、第一、第二の殺人については私には納得の行くものでした(第三の美魚殺しについては、ちょっと・・・)。
この叙述トリックは全体としてもアンフェアではないのかな。
ちなみに私の館シリーズのベスト3は、「水車館」「時計館」「迷路館」です。水車館の叙述トリックも、暗黒館とやや似ているけれど、アンフェアとは感じられません。「人形館」も私にはアンフェアに思えます。