ゼロから始める都市型狩猟採集生活
情報社会論の歴史認識では、狩猟採集社会→農業社会→工業社会→情報社会といった発展図式を考えるものだが、著者によれば、現代の大都市(実際に例に挙がっているのは東京)では、所持金がゼロ円でも、「狩猟採集」によって生きていくことが可能だという。著者は、都市に落ちている食料や生活物資を、「都市の幸」(「海の幸」「山の幸」と同じような言い方だ)と呼んでおり、これを利用して実際に、お金をほとんど持たず、土地や家を持たず(普通の言い方をすればホームレス)に、たくましく生きている人々の生活実践が紹介されている。
確かに、うまくスーパーの経営者と話をつけたり、炊き出し(特に台東区では毎日どこかで行われている)を利用すれば、飢えることはないのかもしれない。むしろホームレスではなく、自分のアパートを持っている人の中から、飢える人が出ている。ホームレスは決して「情けない人々」ではなく、そこで生き抜いているのはある意味「コミュニケーションの強者」なのかもしれないと、本書を読んでふと思った。
スプートニクの落とし子たち
著者は1940年生まれで東工大や中央大で教授を務めた人だが、著者たちの世代はソ連の「スプートニク」打ち上げで、国全体が理工系に邁進したため、理工系への進学者が増えた時期だという。そんな中、当時の日比谷高校から東大理?というエリートコースを進んだ著者が、自分と同等以上の秀才だった同級生の人生行路を描きだす。野口悠紀雄氏や斎藤精一郎氏といった有名人も出てくるが、主役は後藤公彦氏。後藤氏は東大物理工学を出て富士製鉄に入社するが、MBA留学を期に米金融業界に転進、高収入を得るも辞めて、日本で教授になろうとする。苦労して博士論文を仕上げ法政の教授になるが、細君と離婚するなど私生活は荒れ、病気で早逝することとなった。この後藤氏の人生について、著者があれこれと詮索するのだが、収入の話や大学人事の話など、生々しい話が多く、正直読後感はよくない。さらに人生の「星取表」をつけるにいたっては、そこまで他人の人生を評価したいのかと不快感すら覚える。
情報化とデジタル・ネットワーキングの展開
同じ著者による「デジタル・ネットワーキングの社会学」の続編。むしろ実践の書と言える。「アカコッコ:三宅・多摩だより」を発送するなど、三宅島避難住民への支援を実際に行っているところは立派だ。