ベイツ教授の受難

デイヴィッド・ロッジの小説。原題は「Deaf Sentence」で、死刑宣告と難聴とを掛けている。主人公のベイツ氏は、言語学の教授だったが、難聴のため早期退職、日本で言えば非常勤講師的な立場で辞めた大学と関わっている。老いてボケ始める父親、遺書を研究対象とし性的な誘惑を仕掛けてくる女子院生、元は指導した学生で、今は実業家として成功している再婚した妻との関係も、時にギクシャクする。さほど大きな事件が起きるわけではないが、小心者のベイツ教授はそのたびにハラハラ・ドギマギする。ユーモア溢れる筆致の中に、性や死の意味を考えさせられる。著者のロッジ自身難聴で、その経験を基に主人公を造形したようだ。
ベイツ教授の受難

課長になったらクビにはならない

著者の海老原氏は、日本も欧米もキャリア形成に大きな差はなく「長期雇用」は崩れていないこと、35歳以上で転職する人は少なくそれは特殊であること、年収の少ない人の多くは主婦や(資産のある)高齢者であること、そして標題で謳っているように、会社で課長にまで出世すれば、その会社がよほど傾かない限りクビにはならないといった身もふたもない事実を、データで示してゆく。中でもショックなのは、英語や資格といった能力が、会社での出世に役に立つどころか、むしろマイナスに作用するということだ。結局、目の前の仕事に専念することが、一番だと著者は言う。
一番おもしろかったのは最後の第4章で、ビジネスキャリアは一筋縄では行かず、勝ち負けの逆転が何度も起こるという(この章はあまり実証的ではないが)。
しかしこのことは、著者が主張する、入社試験で結局肌合いを確かめる(人物評価中心、面接中心)必要性とは矛盾していないだろうか?さまざまな性格の人がいて、会社が成り立っているのであれば、たとえば基礎能力が高いということで選抜する方が公正ではないか?私は、学生に無用の緊張や、余計な手間を強いる面接に反対の立場なのである。
課長になったらクビにはならない 日本型雇用におけるキャリア成功の秘訣