組合幹部として初の団体交渉に臨む。岡田委員長が出席を要求していた理事の2人ともが出席しないというのはいかがなものか。理事が大学から得ている給与は年額で2500万ほどだそうだが(秘書や個室などの間接経費を加えたら3000万円以上の費用だろう)、それに見合うだけの働きをしているのかどうか、厳しく検証されねばなるまい。

メディアは存在しない

斎藤環氏の、雑誌InterCommunicationでの連載をまとめたもの。期待はずれ。

「メディアが存在する」と言いうるために欠くべからざる条件。それはメディアの自律性である。メディアそのものが自律的なリアリティを生成しえたなら、私は始めて「メディアの存在」を認めるだろう。しかし、CGですらフェティッシュを生じえないことからもわかるとおり、メディアはさしあたり、単なる「伝達」以上の付加価値をもたらすにいたっていない(pp.231-232)。

では自律性とはなんだろうか。人間は自律しているのだろうか。「メディアは存在しない」というのと同じような意味で「人間は存在しない」と言ってもいいのだろうか。こうした粗雑な記述に満ちている。

「メディアは人間を変えない」というのが本書の基本テーゼだが、ではその時の「人間」ってなんだろうか?新しいメディアは、明らかに人間の行動を変えている。象徴界が衰退したという東浩紀の議論に対して、「象徴界は衰退などしない」と強弁するのも、なにやら教条的な議論に思える。西垣通の「基礎情報学」を批判し、逆襲に遭っている。但し「ゲーム脳」の虚妄を暴いたことについては、斎藤氏の貢献は大きい(私も騙された方の口なので)。
メディアは存在しない