『嗤う日本の「ナショナリズム」』

 社情研が生んだ秀才・北田暁大氏の著作。読まなくてはとずっと思ってはいたのだがやっと手に取った。60年代の「あさま山荘事件」、70年代のコピーライターの思想、80年代の「なんクリ」や「元気が出るテレビ」、そして2000年前後の2ちゃんねるを、反省やアイロニーという機制で結びつけ、精神の変化を跡づけた力業は「お見事」としか言いようがない。稲葉三千男『メディアの死と再生』(稲葉と津村喬の、マンガをめぐる論争が収録されている)は私も持っているが、それがこんな形でリサイクルされるとは思わなかった。だが何となく腑に落ちない点もある。アイロニーが「進化」したわけだけれど、ごく特殊な例をつまみ食いしているのではないか。アイロニーについては、師の一人である橋元良明氏によるアイロニー論(『背理のコミュニケーション』所収)が利用されているのだが、この論自体、私にはどうも納得できない。ただ,終章での「「反省する主体の主体性を確立せよ」を「アイロニカルであれ」に転化させてしまうような風土が、日本社会に根を張っているのではないか」との感想は、私にも腑に落ちる。日本の一般人は、知識も思想も信じていないし、狭い意味で役に立たない学問など、よくも悪くもバカにしている。

嗤う日本の「ナショナリズム」 (NHKブックス)